こんにちは。「ありえないデモ」という、トランスジェンダー差別に反対するデモの運営メンバーをやっています、頼と申します。
杉田氏については他の登壇者の方が批判してくださっているので、私からはこれ以上は言いません。差別を扇動し、それを反省しようとしない杉田氏よりも、差別をなくすために今日ここに集まった私たちの話をしたいと思います。
今日のデモでは、杉田氏が行ってきた様々なヘイトスピーチ・差別発言の対象とされた人たちが、属性やコミュニティを越えてこの場に集まり、連帯しています。私はそのことに、様々な人の人権が尊重されていない日本の現状を変えていくための一抹の希望を見出しています。そのことを皆さんと共有したいと思います。
トランスジェンダー差別に反対するデモを続けていて、痛感したことがあります。それは、トランスジェンダー差別を本当になくすためには、シングルイシュー、つまり、トランスジェンダー差別だけに反対していてはダメだということです。
私はかつてこう思っていました。
トランスジェンダーの人を苦しめている差別的な法律を変えるためには、なるべく多くの人を集めた方がいい。なるべく多くの人を集めたかったら、なるべく「マジョリティ受け」しやすい控えめな要求だけをしたほうがいい──例えば、「性同一性障害特例法」の「子なし要件」だけ撤廃する、など。そして、シングルイシューに絞るべきだ──例えばトランスジェンダー差別以外の差別については、マジョリティの特権を問い直すような厳しいことは言わないほうがいいだろう。なぜなら、それらの差別を指摘されて気まずくなるような人がデモに来なくなったら、それだけデモの「頭数」が減ってしまうから。
でも、私のこの考えは間違っていたと、今は思います。
日本で暮らしているトランスジェンダーの人の中にも、アイヌの人、琉球/沖縄の人、在日コリアンの人、ミックスルーツの人、障害者(障碍者)、性暴力被害者など、「トランスジェンダーである」ということだけによる差別以外の差別を受けている人はたくさんいます。トランス差別はしばしば他の差別とも交差していて、切り離せません。トランスジェンダーの中のマジョリティに合わせて法律をちょっとだけ変えて、狭い意味でのトランスジェンダー差別を少しだけ解消しても、他の差別を複合的に受けている人の多くは、取り残されてしまいます。そうならないためにも、様々な差別にきちんと目を向けなければならないのです。
そして、一緒にトランスジェンダー差別に反対している人から、他の属性について思いっきり差別されることは、本当によくあることです。だから、トランスジェンダー差別に反対するデモにさえ、安心して参加できない、という人もとても多いです。様々な差別に同時に反対することで初めて、そういう人も安心して一緒にデモに参加することができるのです。
そもそも、ほとんどの人は自分が受けていない差別については関心を持たなくても生きていけるので、私たちマイノリティがどんなに妥協して「マジョリティ受け」しやすい控えめな要求をしたとしてもやっぱり、ある一つの軸の差別だけについてのデモに関心を持って一緒に行動してくれるアライの人の数は、残念ながら高が知れています。
差別に反対する人の輪を広げるためには、他の差別に触れないことで「マジョリティにとっての敷居」を低くするのではなく、むしろ、様々な差別に対して一緒に反対する──連帯する──ことで、特に「複合的な差別を受けているマイノリティにとっての敷居」を低くすると同時に、様々な人が関心を持つための「間口」を広くする。そういうやり方のほうが、いろんな人が安心して心から連帯することができるので、長期的には上手くいくやり方だと、私は感じています。